我思う、故に我有り

2003年9月27日
少し、考え事をしてみた。
なぜ、高校受験の時あれ程勉強したのだろうか。
そして、なぜ大学受験のときあんなにもやる気が無かったのだろうか。
親元を離れてこんな所にまで来て俺は何をやっているのかと。

一つは、俺が勉強をするためのモチベーションの元となるものが余りにも薄っぺらで不純であったから。
二つ目は、俺の行動全てが強いエゴイズム、虚栄心で構成されていたということ。
最後に、目標と呼べる物が消えてしまったこと。

一つ目の理由であるその元は、今は自分にとってその時程の効力を示さない。
単純に興味の対象が逸れたということだろう。

二つ目の理由であるエゴイズムは、年を追うごとにどんどん現れてくる恐怖心によって薄められ、ベクトルが逆に向いてしまった。
虚栄心は、一時期の井の中の蛙的な満足感と逆ベクトルのエゴイズムによって押さえ込まれた。

最後に目標の欠落だが、中学当時、俺の周りには尊敬出来る程完璧に物事をこなす奴や、ある意味カリスマ的に俺を引き寄せ、進む道に大きく影響を与える様な連中が同じクラスに居た。
そいつらも同じ高校に進んだのだが、或る者は俺と同じく無気力になり、或る者は違うクラスに分かれてしまったため、疎遠になってしまった。

他にも幾つかの理由が有るが、それらの道標的な心の支えを失った結果、このようなThe 無気力が誕生したというわけだ。

今の気持ちは、
「もう疲れたから楽させろや」
かな。
その気持ちは全くの今、もしくは凄い近未来の事しか視野に入れていない。
そんなんじゃ大学出ても、フリーターのような責任が軽いものしかできないだろう。
それで楽で快適な暮らしが出来るだろうか?
答えは決まってるだろうね。

そんな暗い未来は想像すること自体嫌なものだ。

そこで、4年ぶりにやる気を出してみようかなと思ったり。
思えばその間、落ちるところまで落ちて、満足感さえ味わっていない。

まだ他にも書くべきことは有るのだが、それらは自分の人間の小ささをアピールするような事なので自粛。
とりあえず、これらの考え自体も物事に影響を受けて始めたわけだが。

こんな薄っぺらな決意がどこまで続くかは正直タカが知れてると思うが、何か俺が頑張ってる的な雰囲気を醸し出していたら、生暖かく見守ってやってください。

こんなもん日記に書く事じゃねーなー

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